Midori Design Blog
2015-01-03T13:28:36+09:00
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つれづれ
Excite Blog
新年恒例
http://midori55.exblog.jp/21442070/
2015-01-03T13:28:26+09:00
2015-01-03T13:28:36+09:00
2015-01-03T13:28:36+09:00
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勝手にツッコミアワー
本当にランダムキーなのかw
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新年
http://midori55.exblog.jp/21439014/
2015-01-02T01:44:27+09:00
2015-01-02T01:44:40+09:00
2015-01-02T01:44:40+09:00
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未分類
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ガラスのカルタ
http://midori55.exblog.jp/20283494/
2014-01-27T14:54:00+09:00
2014-01-27T14:54:55+09:00
2014-01-27T14:50:06+09:00
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勝手にツッコミアワー
いやー、こんなの出したのか白泉社w
『ガラスの仮面名台詞カルタ』www
別に白泉社の回し者じゃないし、ガラスの仮面どころか漫画自体をすっかり読まなくなって久しいけど
ヤバい、なんかちょっと欲しいw]]>
努力を免罪符にするな
http://midori55.exblog.jp/20252687/
2014-01-19T23:00:00+09:00
2014-01-23T15:38:16+09:00
2014-01-19T22:56:40+09:00
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ツブ焼き
努力したり頑張ることは本来多くの場面であたりまえ以前の前提条件であり、また、あくまで結果を得るための手段と姿勢の顕れなのであって、努力すること自体が目的なのではない。
ましてや、人に話して評価を受け自分が安心するための道具では決してない。
子どもならまだしもだが、大人の社会においては『自分なりに頑張ったのだからそれで良い』…そう言って良い場面は、実はそれ程多くない。
仕事であったり、自分以外の誰かの生命・人生が関わるようなケースに置いて、結果を出さずして『自分は努力してるから』 などと言う事は許されない。
許されないはずなのだが、現実には割と頻繁にこういう場面を見るし、つい最近も身近な所で見かけてしまった。
本人には全くそんなつもりはないし考えた事もないのだろうが、要するに自分が努力していると思える事が大事なだけで(つまりただの自己満足)、自分が結果を出さなければ路頭に迷うかも知れない人のことは二の次であり、それに対して自分で責任を取る気が全く無いという事だ。
そして更に不思議なのは、最善の結果には結びつかないこの手の『努力』を、周囲の大人たちが積極的に後押ししてしまっているという事実である。
これに気づくことが出来ないだけでなく、努力さえしていればOK(あくまで本人評価。ここ重要。)という考え方をむしろ助長してしまう環境で育ってきたのは、この人にとって大変不幸で可哀想な事ではある。
しかし、既にこの人自身に根付いてしまった考え方のために、自分の意志に関係なく人生を大きく左右する危機に晒される可能性のあるその子どもは、もっと不幸だ。
人の親になったなら育ってきた環境に甘んずることなく、自分でこの事に気づいて悪しき循環を断ち切ることが出来るように、何とか自力で舵を切ってもらいたいと切に願う。
努力だけでなく、確実に結果を出さなければならない場面というのが世の中にはある(しかも割と頻繁に)という事を忘れてはならない。
こうして思いを巡らしているうちに、本人なりに頑張ること・努力する事そのものが美化され価値化され称賛される風潮が、ごく最近ではなく、割合以前から少なからずあちこちにあるという事実に気づき私は閉口した。
そして、たった何年か前までは自分もその一人であったことにはっきりと気づかされ、冷や汗をかいた。
もしも自分がこのような思考のままであったら…と思うと、ゾッとする。
自分一人で完結する事ならどうにでも勝手にしろで済むかも知れないが、少なくとも自分以外の誰かが関わる場面においては、『頑張ってさえいれば良い』というのは非常に危険で無責任な思考であることを、肝に銘じておかなければならない。
努力を免罪符にしてはいけない。
強い自戒の意味も込めて書き留めておく。
※非常に曖昧で抽象的な内容で恐縮だが、覚書なのでご容赦ください。]]>
新年早々
http://midori55.exblog.jp/20200774/
2014-01-07T12:48:31+09:00
2014-01-07T12:45:42+09:00
2014-01-07T12:45:42+09:00
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勝手にツッコミアワー
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2014
http://midori55.exblog.jp/20180446/
2014-01-02T15:13:11+09:00
2014-01-02T15:10:11+09:00
2014-01-02T15:10:11+09:00
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未分類
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フライパンで
http://midori55.exblog.jp/20148273/
2013-12-25T22:07:00+09:00
2013-12-25T22:10:25+09:00
2013-12-25T22:04:45+09:00
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未分類
ローストチキン作ってみた。
仕上げはハチミツじゃなくてマーマレードにしてみたら、ナニコレ旨い。
毎年作ろう。
iPhoneから送信
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H.L.Tサンド
http://midori55.exblog.jp/19840551/
2013-10-18T16:11:00+09:00
2013-10-18T16:10:39+09:00
2013-10-18T16:09:24+09:00
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未分類
ハム、レタス、タ…… TAMAGOのTかーーーっっっ
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ムリっす
http://midori55.exblog.jp/19736499/
2013-09-29T16:08:00+09:00
2013-09-29T16:36:24+09:00
2013-09-29T16:05:49+09:00
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未分類
そんなに食えません
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補足
http://midori55.exblog.jp/19656304/
2013-09-15T10:36:00+09:00
2013-09-15T10:40:55+09:00
2013-09-15T04:52:38+09:00
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ツブ焼き
私が検索で見つけて「スッキリした」と書いた記事はそもそも出所が週刊文春とか微妙な感じなところではあるが(笑)、私自身の見解として決してこれらの内容を全面的に支持するものではない。
読んでみて私が特に納得した内容というのは、(新型鬱の一部である)否定型鬱のメカニズムがPTSDと同じである、という貝谷氏の説の部分だ。
薬物療法として、PTSDと同じ治療が劇的に効いたという点が画期的だと思った。(真偽のほどは不明だが)
これが事実ならば、いま新型鬱と称される人の幾らかは「本当に」病を患っているのだと、ある程度納得することが出来る。
ただ前回の記事でも少し触れたように、私はそれでも尚、この「病」を肯定的に捉えることはしていない。
それは、仮に否定型鬱の人物にこの治療を用いて元の状態に戻すことが出来たとしても、やはり一般的な企業での仕事に耐え得るような状態にはならないと想像するためだ。
本人が根底に持つ思考そのものが社会や企業への不適合を招き、その結果として新型鬱様の症状に陥ったのだとしたら、投薬で脳の働きを戻したとしても当然その不適合性は残るであろうと予測する。
その不適合性が、本人を取り巻いていた家庭環境・教育環境・社会環境が大きな要因となっている事は確かだろうし、その点については多少なりとも同情すべきものがある。
しかしながら、同じような環境で育っても社会不適合状態に陥らない者はたくさんいる。
どこかの時点で、社会や仕事の仕組みであったり、自分に折り合いをつける事を自分で学んでいくからだ。
私は専門家ではないからよく解らないが、それができない人のために心理療法があるのかも知れない。
しかし、言ってみればこれは人の「育て直し」な訳で、医師と患者の関係だけではその治療も万能ではないように思う。
そもそも基本的な思想・思考を育てる役目が本来家庭や教育機関にあったであろう事を考えると、現状対策としての「患者」の治療と同時に、必要以上の「個の尊重」傾向や、否定型鬱などによくみられるという「他罰的思考」へ流れにくくするための家庭環境・教育環境・社会環境をどう整えるかという事が、重い課題として残る。
思想レベル・教育レベルの底上げと文字に書いてしまえば簡単だが、一度落ちたものを持ち上げる事はそう一筋縄にいくものではない。
そして時間は相当年数掛かるが、教育レベルを地道に上げていくほかに近道がないという事もまた、歴史的に見て事実なのだろう。]]>
新型
http://midori55.exblog.jp/19418957/
2013-08-26T01:56:00+09:00
2013-08-31T23:35:39+09:00
2013-08-06T15:19:07+09:00
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ツブ焼き
先月、私が勝手に 『アドバイス障害』 と命名したものについて何となく書いてみたところ、かつて自分が抱えていた最大の問題が何であったかや当時の行動パターンが我ながらよく理解できたうえ、コメントを書き込まない方々からも意外に反響があったりして、個人的に色々と面白かった。
なので続編を書こうと思っていたのだが、時間が経ってちょっと温度感が下がったことに加えて、新たに別の思考が出て来たこともあり、この件についてはもう少し保留することにした。
ただ、先の文章について少し補足するために、さるお方から頂いたメールへの返信に私が書いた内容を以下に引用しておく。
「今回の文章は論調が終始批判めいていますから、読む人によっては非常にネガティブな内容と受け取られるかも知れません。でも私が言いたかったのは、『これまでの自分の考え方を全く変えること』は『自己の存在や価値そのものを全否定したり、人格そのものを変えること』と決して等価ではないという事であり、『(適切に)人の意見を容れること』とは『思考の方向転換でこそあれ、敗北や自己の抹殺ではない』という、ごくシンプルな事実です。むしろ、アドバイス障害の人がその状態から抜け出すヒントになるかも知れない、ポジティブなものとして書きました。」
話を元に戻す。
さて、そんな7月のある晩、ふと見ると夜中の2時を回ったばかりだというのに、このブログのアクセス数が既に50を超えている。しかも、リロードする間にどんどん増えていく。
??? なんだこれ。何の検索にひっかかったのよ?
・・・と思っていたら、原因はこれだった。
びっくりするわー、もー。てんで油断してたわ。通常ほぼひとケタアクセスのweb僻地で時折こんな駄文を書いては安穏としていたわけだが、たぶん萩原氏の実験という意味合いもあったのだろうから、最終的に100を超えたアクセス数を報告しておきましたとさ。いやまあ、翌日には11アクセスの通常営業に戻ったんだけどw
てか、実はかなり以前にこっそり
↓ こんな記事書いてたんだけど、本人はじめから実名で出てるからイニシャルトークの意味なかったw
■視聴推奨 (2010-04-18 22:15)
旅と辛口トーク(ry が好きな方におススメですので、興味のある方はどうぞ。
・・・だからという訳ではないが、今回は萩原氏の1か月前のツイートから。
読んでいて、これは 『アドバイス障害』 と本質が似ているというか、むしろ多分に相関性のある話だと思ったので紹介したい。
■日本の若者がどんどん「老化」してた!運動不足でうつ病も増加
若者の老化や運動不足云々という話にはここではあえて触れないが、改めて感じたのは、このまとめにも書かれている 『新型うつ』 に対する根本的な疑問。
この 『うつ』 のひとつとされる病、少し調べてみるとどうやら、専門家の間でも未だに見解の分かれる領域のようである。それも踏まえた上でリンク先の記事を全て読んでみたわけだが、特に下記の内容がひどい。
■若者に増える新型鬱 出社できない…でも旅行や趣味はOK (産経ニュース)
鬱と診断される根拠も僅かに示されてはいるが、この記事の書き方自体に語弊があるのか、そもそも一定の悪意を持って書かれたものだからなのか、これを何度読んでも 『新型うつ』 がれっきとした病気であるという方向には解釈しにくいものがある。
新型うつに関しては私自身も、「ある人物が仕事ができない理由として【新型うつ】という病が先にあったわけではない」という理由で、かなり否定的な見方をしている一人ではある。(まわりくどくてゴメンw)
しかしそれでも、このような記事を読めば読むほどスッキリとしない、一向に解けない疑念だけが積み重なっていた。
その疑念の起こる理由が何なのか、新型うつについて少し書いてみようと思い調べていたら、こんな記事が出てきた。
■若手社員の「新型うつ」は単なるうつ病ではない!パニック障害の権威が職場の偏見と治療の誤解に警鐘
――貝谷久宣・医療法人和楽会理事長に聞く (ダイヤモンド・オンライン)
■「新型うつ」こうすれば治る (週刊文春)
おお・・・!
ここ数年の新型うつに対する疑問が非常に綺麗に解けてびっくりした。
あまりに頭がスッキリとして、久しぶりに爽快感を覚えた程だった。
書き手の思惑や記事の書き方そのものへの評価はあえて避けるが、「新型うつの多くは否定型うつであり、そのメカニズムはPTSDと同じである」(意訳)という貝谷氏の説には非常に説得力がある。
「新型うつは薬が効きにくいって、早い話がそれ、うつ病じゃないからじゃね?」といった疑問や、これまで私が出会った「新型うつ」と思われる人々の行動パターンなど、様々な事が一気に腑に落ちた感じがした。
無秩序に個性を認めようとする誤った教育と社会の潮流が生み出したであろう「新型うつ」量産の経済的ツケを、企業側だけが支払うこれまでの風潮(異論はあろうが、あえてこの表現を使う)にはかなり疑問を持って見ていたが、この記事は新型うつを患う若者の社会システム上の受け皿や、そもそも新型うつになりにくい子供を育成するための教育システムというものを構築する上でも、大きなヒントになりそうだ。
新型うつに対する前提の認識という点で経営者サイドにとっても面白い話だろうと思い、萩原氏や知人にもメールで送っておいた。
・・・と思ったら、今日の萩原氏のニコニコ生放送のテーマは「新型鬱」なのね。
興味のある方はぜひ。
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フォーティーワン アイスクリーム
http://midori55.exblog.jp/19513128/
2013-08-23T00:07:00+09:00
2013-08-23T22:57:42+09:00
2013-08-23T00:05:41+09:00
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つれづれ時録
毎度の事ながらわかりにくい前フリではあるが、本日は私の41回目の誕生日である。もうすぐ終わるけど。
まあそんなわけで、一応毎年高齢いや恒例であることだし、ここは何か一筆書いておかねばならんだろうと思ったわけだが、さあ困ったことに今回の誕生日に関しては、どういうわけだか何の実感も感慨もない。笑
ここまで感情の起伏のない平坦な誕生日というのは、随分久しぶりのことだ。
平坦と書いた文字の通り、特に嬉しい気持ちも暗い感情もなく、ただただフラットな心持ちなのが我ながら面白い。
前回40歳の誕生日は、区切りのよい節目の年だった事と自分にとっての最大の転換期と重なっていた事が相まり、色々と思うところがあったし感慨深さもあったのだが、どうやらその反動が今年に来たようだ。
実は今日の未明に、折角だし何か小さなもので良いから自分のために買ってみようかと思いたち、明け方までネットであれこれ物色してみたのだが、まあこれが全くと言って良いほど何も思いつかなかったのだった。
必要だから買う物、近いうちに買わなければならない物は山ほど、実に予算が全く足りないほどあるのだが、純粋に自分の欲を満たすためだけに欲しい物というのを、最近は全く考えていなかった事に気が付いた。
裏返すとたぶん、現時点での自分の事については、(小さな)物質的な意味では概ね満足しているという事なんだろう。
大きなものはまあ、いくらでも欲しいものは出てくるからね。その辺はホレ、先立つもんがないと話にならないわけで。笑
………つって、書いてたら終わっちゃったよ誕生日www
てなもんで、まあ何にもしないってのもアレなんで、せめて冷凍庫に買い置きしてたアイスクリームくらいは食べておくか、ってことなんで今日はこの辺で。もぐもぐ。]]>
バナナ神
http://midori55.exblog.jp/19447480/
2013-08-11T09:22:00+09:00
2013-08-11T11:13:42+09:00
2013-08-11T09:20:38+09:00
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未分類
皮が真っ黒になって柔らかくなったバナナは泡立て器で潰して、バナナとクルミのパンケーキにする。
最近はわざと黒くなるまで放置する事もある。胡麻やきな粉を入れても旨い。
一房買っても余す事なく使えるバナナは神。
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小さな
http://midori55.exblog.jp/19239199/
2013-07-10T22:32:00+09:00
2013-07-10T22:34:37+09:00
2013-07-10T22:32:36+09:00
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勝手にツッコミアワー
レ、レーズンパン…
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アドバイス障害
http://midori55.exblog.jp/19014894/
2013-06-20T02:28:00+09:00
2013-06-25T00:00:42+09:00
2013-06-20T02:28:15+09:00
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ツブ焼き
その話は「良かれと思って人にアドバイスしたら想定外にキレられた」という内容のものであったが、私はその後の議論で、『いつも何かに悩んでいる・若しくは不満を抱いている傾向にある人々のかなり多くが、実は問題を根本的に解決する気など全くない』、というロジックが存在することを再認識した。
まあ有体に言えば、実は私自身が長年無自覚のうちに 『そちら側』 に身を置いていたため、随分いい歳になるまでそれに気が付かなかったというだけの事なんだけども、改めて考えてみるとなかなかに興味深いものがある。
ここでのポイントは、悩みを抱える当の本人が 『自分は本気でどうにかしたいと思っている』 と頑なに信じ込んでおり、実は自身には解決する気などさらさら無いという事実に全く気が付いていないところにある。
面白いのは、こういう状態に陥っている人が誰かに悩みを相談すると、多くの場合、最も適切なアドバイスをしてくれた良心的で奇特な人の話には全く耳も貸さないどころか、『わかってくれない』『おまえは冷たい』などと完全に逆方向且つ感情的にのみ解釈する傾向にある点だ。
要するにハナからアドバイスなぞ欲しくなかったわけだが、何しろ当人にはその自覚がないものだからややこしい。
当然ではあるが、事態は一向に解決に向かわないだけでなく、むしろ悪化の道を辿る。
何と言うか、たまにこういう場面に出くわすと、過去の出来事を思い出して 『いやもうほんとすいませんでした』 って土下座したい気分にかられる。笑
……土下座は冗談にしても、そうした落とし穴に自分が再び陥る可能性だって多かれ少なかれあるわけで、思考と行動のバランスには気を付けないといけないなぁ…と我に返った次第なのである。
まあ実際の所、日常における問題の解決方法とはその殆どがやってみると意外に簡単であるにも拘わらず、やってみるまでが非常なる困難を伴うケースが多い。
それは、これまでの考え方を捨てて全く別の考え方をしなくてはならないという理由に尽きると思うが、おそらくこれが 『自分を変えなくてはいけないくらいなら問題の解決などしない方が良い』 という無意識の強迫観念と現実逃避の源になっているのだろうと予測する。
こうした無意識の恐怖に囚われた人は、本当に有益なアドバイスは何ひとつ聞き入れず問題を不必要にこじらせた末、最後は明確に解決を放棄して逃げるという誰にとっても不幸な結論を出すに至る。
そして不思議なことに、何故か本人は 『人生、時には逃げることも必要』 などと、その行為を爽やかに正当化するパターンが多い。
ポジティブさの間違った使い方の典型である。
確かに、自分の身に起こるすべての事に対して一生全力で立ち向かう必然性はどこにもないし、力加減の無さはむしろ害悪になる。
物事を成すにあたって 『リスクヘッジとしての逃げ道』 があった方が良いことは紛れもない事実であるが、その事と、 『解決も責任も放棄して逃げる』 こととを同一視するのは、そもそも大きな間違いであるとしか言いようがない。
逃げるべきところはそこではないし、実はそここそが最も逃げてはいけない場面であることに、残念ながら全く気がついていない(理解しようとしない)ケースが殆どのように思う。
ダメ押しに、『今回の経験を無駄にせず次に生かす』…と公言しては何故か同じことを何度も繰り返すという、パラレルワールドの住人になる。
根本解決するという選択から常に逃げている以上、同じことを何度やったところで失敗するのがオチなので、考え方を改める気が無いのなら何もやらない方が100倍マシだと気が付かないわけだ。
そしてここまできてようやく、こうした経過をさんざん辿ったひとりである私がやっと得た結論は、『考え方を変えたところで自分自身は何も変わらない』 という、極めて単純でバカバカしいあたり前田のクラッカー(古い)な事実であったと、あえて書いておく。
文章にするのもくだらないが、所詮自分は自分でしかない。考え方を変えることに対して、当時自分が何をそんなに恐れていたのか本当に不思議だし、もう端的にアホだったとしか言いようがない。笑
ただ、こんな歳になってやっとラクになるってこともあるんだよなぁ…とここ2~3年位で実感する事が非常に多かったので、備忘録的に書くのもたまには良いかなと。
…とまあ、いつもの通り大変回りくどい書き方をしてしまったわけだが、要は単なる 『妙薬口に苦し、忠言耳に痛し』 の話でござる。
不幸にも逃避状態に陥って抜け出せない人を表現する言葉が実際にあるのかは知らないけれど、こういう時に誰がどれほど親切なアドバイスをしても全く効き目が無いどころか逆ギレするということから、もし今風に言うならば 『アドバイス障害』 ってとこなのかなぁ、などとぼんやり考えていた梅雨の真夜中。]]>
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