カテゴリ:ツブ焼き( 16 )

自分は頑張っている、自分なりに努力している、という事を免罪符にしてはいけないと思う。
努力したり頑張ることは本来多くの場面であたりまえ以前の前提条件であり、また、あくまで結果を得るための手段と姿勢の顕れなのであって、努力すること自体が目的なのではない。
ましてや、人に話して評価を受け自分が安心するための道具では決してない。

子どもならまだしもだが、大人の社会においては『自分なりに頑張ったのだからそれで良い』…そう言って良い場面は、実はそれ程多くない。
仕事であったり、自分以外の誰かの生命・人生が関わるようなケースに置いて、結果を出さずして『自分は努力してるから』 などと言う事は許されない。
許されないはずなのだが、現実には割と頻繁にこういう場面を見るし、つい最近も身近な所で見かけてしまった。

本人には全くそんなつもりはないし考えた事もないのだろうが、要するに自分が努力していると思える事が大事なだけで(つまりただの自己満足)、自分が結果を出さなければ路頭に迷うかも知れない人のことは二の次であり、それに対して自分で責任を取る気が全く無いという事だ。
そして更に不思議なのは、最善の結果には結びつかないこの手の『努力』を、周囲の大人たちが積極的に後押ししてしまっているという事実である。

これに気づくことが出来ないだけでなく、努力さえしていればOK(あくまで本人評価。ここ重要。)という考え方をむしろ助長してしまう環境で育ってきたのは、この人にとって大変不幸で可哀想な事ではある。
しかし、既にこの人自身に根付いてしまった考え方のために、自分の意志に関係なく人生を大きく左右する危機に晒される可能性のあるその子どもは、もっと不幸だ。
人の親になったなら育ってきた環境に甘んずることなく、自分でこの事に気づいて悪しき循環を断ち切ることが出来るように、何とか自力で舵を切ってもらいたいと切に願う。
努力だけでなく、確実に結果を出さなければならない場面というのが世の中にはある(しかも割と頻繁に)という事を忘れてはならない。

こうして思いを巡らしているうちに、本人なりに頑張ること・努力する事そのものが美化され価値化され称賛される風潮が、ごく最近ではなく、割合以前から少なからずあちこちにあるという事実に気づき私は閉口した。
そして、たった何年か前までは自分もその一人であったことにはっきりと気づかされ、冷や汗をかいた。
もしも自分がこのような思考のままであったら…と思うと、ゾッとする。
自分一人で完結する事ならどうにでも勝手にしろで済むかも知れないが、少なくとも自分以外の誰かが関わる場面においては、『頑張ってさえいれば良い』というのは非常に危険で無責任な思考であることを、肝に銘じておかなければならない。

努力を免罪符にしてはいけない。
強い自戒の意味も込めて書き留めておく。


※非常に曖昧で抽象的な内容で恐縮だが、覚書なのでご容赦ください。
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前回の記事について、時間の都合で端折ったため誤解を受けそうな部分を補足。
私が検索で見つけて「スッキリした」と書いた記事はそもそも出所が週刊文春とか微妙な感じなところではあるが(笑)、私自身の見解として決してこれらの内容を全面的に支持するものではない。
読んでみて私が特に納得した内容というのは、(新型鬱の一部である)否定型鬱のメカニズムがPTSDと同じである、という貝谷氏の説の部分だ。
薬物療法として、PTSDと同じ治療が劇的に効いたという点が画期的だと思った。(真偽のほどは不明だが)
これが事実ならば、いま新型鬱と称される人の幾らかは「本当に」病を患っているのだと、ある程度納得することが出来る。

ただ前回の記事でも少し触れたように、私はそれでも尚、この「病」を肯定的に捉えることはしていない。
それは、仮に否定型鬱の人物にこの治療を用いて元の状態に戻すことが出来たとしても、やはり一般的な企業での仕事に耐え得るような状態にはならないと想像するためだ。
本人が根底に持つ思考そのものが社会や企業への不適合を招き、その結果として新型鬱様の症状に陥ったのだとしたら、投薬で脳の働きを戻したとしても当然その不適合性は残るであろうと予測する。

その不適合性が、本人を取り巻いていた家庭環境・教育環境・社会環境が大きな要因となっている事は確かだろうし、その点については多少なりとも同情すべきものがある。
しかしながら、同じような環境で育っても社会不適合状態に陥らない者はたくさんいる。
どこかの時点で、社会や仕事の仕組みであったり、自分に折り合いをつける事を自分で学んでいくからだ。

私は専門家ではないからよく解らないが、それができない人のために心理療法があるのかも知れない。
しかし、言ってみればこれは人の「育て直し」な訳で、医師と患者の関係だけではその治療も万能ではないように思う。
そもそも基本的な思想・思考を育てる役目が本来家庭や教育機関にあったであろう事を考えると、現状対策としての「患者」の治療と同時に、必要以上の「個の尊重」傾向や、否定型鬱などによくみられるという「他罰的思考」へ流れにくくするための家庭環境・教育環境・社会環境をどう整えるかという事が、重い課題として残る。
思想レベル・教育レベルの底上げと文字に書いてしまえば簡単だが、一度落ちたものを持ち上げる事はそう一筋縄にいくものではない。
そして時間は相当年数掛かるが、教育レベルを地道に上げていくほかに近道がないという事もまた、歴史的に見て事実なのだろう。
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さて。いつもの事ながら、かなり時間差のある話で恐縮だが。
先月、私が勝手に 『アドバイス障害』 と命名したものについて何となく書いてみたところ、かつて自分が抱えていた最大の問題が何であったかや当時の行動パターンが我ながらよく理解できたうえ、コメントを書き込まない方々からも意外に反響があったりして、個人的に色々と面白かった。
なので続編を書こうと思っていたのだが、時間が経ってちょっと温度感が下がったことに加えて、新たに別の思考が出て来たこともあり、この件についてはもう少し保留することにした。

ただ、先の文章について少し補足するために、さるお方から頂いたメールへの返信に私が書いた内容を以下に引用しておく。

「今回の文章は論調が終始批判めいていますから、読む人によっては非常にネガティブな内容と受け取られるかも知れません。でも私が言いたかったのは、『これまでの自分の考え方を全く変えること』は『自己の存在や価値そのものを全否定したり、人格そのものを変えること』と決して等価ではないという事であり、『(適切に)人の意見を容れること』とは『思考の方向転換でこそあれ、敗北や自己の抹殺ではない』という、ごくシンプルな事実です。むしろ、アドバイス障害の人がその状態から抜け出すヒントになるかも知れない、ポジティブなものとして書きました。」


話を元に戻す。

さて、そんな7月のある晩、ふと見ると夜中の2時を回ったばかりだというのに、このブログのアクセス数が既に50を超えている。しかも、リロードする間にどんどん増えていく。

??? なんだこれ。何の検索にひっかかったのよ?

・・・と思っていたら、原因はこれだった。

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びっくりするわー、もー。てんで油断してたわ。通常ほぼひとケタアクセスのweb僻地で時折こんな駄文を書いては安穏としていたわけだが、たぶん萩原氏の実験という意味合いもあったのだろうから、最終的に100を超えたアクセス数を報告しておきましたとさ。いやまあ、翌日には11アクセスの通常営業に戻ったんだけどw

てか、実はかなり以前にこっそり
↓ こんな記事書いてたんだけど、本人はじめから実名で出てるからイニシャルトークの意味なかったw
■視聴推奨 (2010-04-18 22:15)
旅と辛口トーク(ry が好きな方におススメですので、興味のある方はどうぞ。


・・・だからという訳ではないが、今回は萩原氏の1か月前のツイートから。
読んでいて、これは 『アドバイス障害』 と本質が似ているというか、むしろ多分に相関性のある話だと思ったので紹介したい。

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■日本の若者がどんどん「老化」してた!運動不足でうつ病も増加



若者の老化や運動不足云々という話にはここではあえて触れないが、改めて感じたのは、このまとめにも書かれている 『新型うつ』 に対する根本的な疑問。
この 『うつ』 のひとつとされる病、少し調べてみるとどうやら、専門家の間でも未だに見解の分かれる領域のようである。それも踏まえた上でリンク先の記事を全て読んでみたわけだが、特に下記の内容がひどい。


■若者に増える新型鬱 出社できない…でも旅行や趣味はOK (産経ニュース)


鬱と診断される根拠も僅かに示されてはいるが、この記事の書き方自体に語弊があるのか、そもそも一定の悪意を持って書かれたものだからなのか、これを何度読んでも 『新型うつ』 がれっきとした病気であるという方向には解釈しにくいものがある。 
新型うつに関しては私自身も、「ある人物が仕事ができない理由として【新型うつ】という病が先にあったわけではない」という理由で、かなり否定的な見方をしている一人ではある。(まわりくどくてゴメンw)
しかしそれでも、このような記事を読めば読むほどスッキリとしない、一向に解けない疑念だけが積み重なっていた。
その疑念の起こる理由が何なのか、新型うつについて少し書いてみようと思い調べていたら、こんな記事が出てきた。


■若手社員の「新型うつ」は単なるうつ病ではない!パニック障害の権威が職場の偏見と治療の誤解に警鐘
――貝谷久宣・医療法人和楽会理事長に聞く (ダイヤモンド・オンライン)


■「新型うつ」こうすれば治る (週刊文春)


おお・・・!
ここ数年の新型うつに対する疑問が非常に綺麗に解けてびっくりした。
あまりに頭がスッキリとして、久しぶりに爽快感を覚えた程だった。

書き手の思惑や記事の書き方そのものへの評価はあえて避けるが、「新型うつの多くは否定型うつであり、そのメカニズムはPTSDと同じである」(意訳)という貝谷氏の説には非常に説得力がある。
「新型うつは薬が効きにくいって、早い話がそれ、うつ病じゃないからじゃね?」といった疑問や、これまで私が出会った「新型うつ」と思われる人々の行動パターンなど、様々な事が一気に腑に落ちた感じがした。

無秩序に個性を認めようとする誤った教育と社会の潮流が生み出したであろう「新型うつ」量産の経済的ツケを、企業側だけが支払うこれまでの風潮(異論はあろうが、あえてこの表現を使う)にはかなり疑問を持って見ていたが、この記事は新型うつを患う若者の社会システム上の受け皿や、そもそも新型うつになりにくい子供を育成するための教育システムというものを構築する上でも、大きなヒントになりそうだ。
新型うつに対する前提の認識という点で経営者サイドにとっても面白い話だろうと思い、萩原氏や知人にもメールで送っておいた。

・・・と思ったら、今日の萩原氏のニコニコ生放送のテーマは「新型鬱」なのね。
興味のある方はぜひ。

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些細な事ではあるが、つい最近友人とした会話の中でおもしろい話題が出た。
その話は「良かれと思って人にアドバイスしたら想定外にキレられた」という内容のものであったが、私はその後の議論で、『いつも何かに悩んでいる・若しくは不満を抱いている傾向にある人々のかなり多くが、実は問題を根本的に解決する気など全くない』、というロジックが存在することを再認識した。
まあ有体に言えば、実は私自身が長年無自覚のうちに 『そちら側』 に身を置いていたため、随分いい歳になるまでそれに気が付かなかったというだけの事なんだけども、改めて考えてみるとなかなかに興味深いものがある。
 

つづき
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この年の瀬になって、久しぶりに自転車に乗った。
ご近所へのちょっとした用足しには、小回りが利いて駐車場所に困らない自転車がやはり便利だ。

しかし久しぶりに乗ると、バイクとの感覚の違いに今更ながらびっくりする。
乗りながら無意識にニーグリップでバランス取ろうとして、思わず 『うおお』 となった。
いやグリップするとこ無いし!!!
バイクと違って、自転車は実に不安定な乗り物だということを再認識したw

しかしそれ以上に怖いのが、道行く他のチャリダーの存在だ。
特にジジババおばさん(いや私も立派に40のおばさんなんだけども)。
これが、全くと言って良いほど周りを見ていない。
道路交通法ナニソレ、一時停止などもちろんガン無視。

自分もバイクの免許取る前はそうだったんだと思うと大きな事は言えないが、
あまりの無法状態に、もう自転車も許可制にしたらいいのに…と思ってしまった。
でも現実的に自転車許可制は難しいだろうし、
たとえ講習を義務化したとしても、改善するような気がしないのは何故なんだーーーー

あーあ。
せめてサイドミラーつけよう。ショボーン

それにしても、自転車ですらミラーが欲しくなるというのに、
未だにバイクで片側ミラーの奴を見ると本当にげんなりする。
いくら法規的にOKとは言え、個人的には原付でも片側ミラーは嫌だ。
ほんと、近寄りたくないねぇ…。


ところで全然関係ないけど、Facebookってあれmixiと何が違うんだ。
仕組み位は見ておかないとと思って登録はしているが、
mixiといいFacebookといいtwitterといい、どれもこれも性格的にやっぱり向いてないw
根本的なところで相容れないんだよなぁ
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バイクの芋話(※過去記事参照:『芋』)じゃなくて、リアル芋の話。


関東で『芋掘り』って言うと、サツマイモの事なんだー!

・・・いや、まあ、至極当たり前なんだけども、脊髄反射で

芋=ジャガイモの道民思考

の私にとっては、実際に目の前にすると今更ながら軽くカルチャーショックw
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今日立ち寄ったスーパーで、並んだ果物の中に見つけた『チャメ』の文字。
ふーん、あたらしい南国フルーツ?と思って近づいてみると、『説明書き』に『真桑瓜』と書いてあった。

・・・・・・・。

なんで説明書きに和名が表記されるのよ?という微妙な違和感が拭いきれなかった。
確かにそれは韓国産ではあるが、私の中で『真桑瓜』は日本古来の果物という印象が強かったからだ。

いや、もうちょっと正確に言うと、
ルーツを辿ると大陸なのかも知らんが、日本では昔から『真桑瓜』って名前で普通に食べられていたはず。
なのに、なぜわざわざ新しい食べ物であるかのように異国の名前で表記しなきゃならんのか、っていう
何とも表現しにくい、ある種の人にはなかなかわかって貰えそうにない歯がゆさだ。
自分なら、『真桑瓜』と書いてあった方が素直に買える。

調べてみると、日本では50年程前に、プリンスメロンに押されて真桑瓜はすっかり姿を消したようだ。
だから、いま日本で売られているのは殆ど韓国産。
年配の人でもなければ馴染みが薄く、新しいフルーツとして認識されても無理からぬご時世かもしれない。

言い遅れたが、私自身も一度も食べたことがないどころか、見たこともなかった。笑

しかし、絵本や和歌で『真桑瓜』が古来よりある日本の果実として本能的に刷り込まれてきたためか、
何でも韓国にしときゃ売れるっていう何とも安易な流れに乗って、こんなものまでが
まるで新しい異国の文化であるかのように店頭で安売りされていることが、私には気持ち悪かったのだった。

気持ちは悪かったのだが、
『日本で古来より親しまれた果物』を自分が見たことも食べたこともない事実に釈然としないものを感じ、
自身の純粋且つ強烈な好奇心を満たすために、私はその『真桑瓜』をひとつだけ購入した。
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まあそんなわけで、なべ祭り真っ最中ですわ。(ひとりで。笑)
まともに家に帰ったら、やっぱりまともに自分で料理して食べたいよねー。
ってことで、今日は景気づけにカキも買ってみた。
んまー。
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明け方4時過ぎにやっとまともに家に帰ってきて、本日は夜まで爆睡。
20時頃にやっと起き出して、こりゃいかんと洗濯をはじめつつ
昨夜S氏からもらったおいしい豚肉を煮てしまわねば・・・と、
まずこんがり表面を焼いていた時に事件勃発。

いい具合に焼けた表面に若干ニヤニヤしながら、
もう片面を焼こうと大きなお肉をひっくり返したときに、脂で箸が滑って
溶け出した大量の豚脂がばしゃん!と、右手と顔に思いっきりかかってしまった。
すぐに冷やしたけど、如何せん油。東京の水ぬるいし。

それから2時間以上経過していますが、こりゃ結構痛いねぇ。
顔に跡が残りませんよーに。

でも肉はうまいよーーー。
ありがとうS氏。堪能してます。もぐもぐ。
んーーー、うまいー。でもいたいー。笑
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昨日事務所に行くついでに、駅からの通り道なので
東京ドームシティのLaQua(ラクーア)に寄ってみた。

ここでわざわざ断るまでもないとは思うが、
何もひとりジェットコースターで盛り上がろうとかいう趣旨ではない。
残念ながら、スパでムーディーな大人の時間を、という色気のある話もない。
ましてや東京で拾った男と年甲斐も無く遊園地デート、って浮かれた話では微塵も無い。
というか、そのように眩しく若々しい嗜好はもはや私の中には存在しない。orz

・・・とまあそんな自虐ネタはさておき、ただ単純に
事務所の引越しからまだひと月ほどであまり周囲を探索できていないのと、
最近あまりにも新しい洋服なんかを仕入れておらんかったもんだから
だって、たまにはお買い物したくなっちゃう。女の子だもん。
・・・という企画だったのだが、いやはやこれがもう



そこいらじゅうヒトだらけですわ。

・・・そりゃそうだ。
ごくごく当たり前に、夏休みの東京ドームシティなんて
子供と若人(わこうどって言うなー)でイモ洗い・芋ころがし・ごった煮状態
ってことくらいすぐに気付くはずなのに、この人ったらすっかり
週末とか夏休みとか行楽地とかっていう単語が頭の中から抜け落ちちゃってるんだね。

そして見渡せば、なぜか自分をキャバ嬢風高校生に見せたいらしい
マスカラでまつげバチバチの、どっちかってとチンドン屋みたいな衣装メイクの
小学生やら中学生らしき生き物がぞろぞろとねり歩いたりうんこ座りしてるわけで、
それはそれである意味面白いんだけども、案の定あっという間にお腹いっぱいなわけですよ。
買い物するとかしないとか、それ以前なわけです。
それに目の前の品にさしたる魅力も覚えず。
こうなると、もはや私の中には何の欲求も起こらなくなってしまう。
そもそも私、何が欲しかったんだっけ?

そんなことを考えていてふと思い出したのが、
最近、周囲の誰かが自分の趣味や興味のある話をしてくれたときに、
私はそれについて殆ど何のリアクションもできないことに気がついたって話。
面白いと薦められてネットで覗いたりまではするけれど、それ以降は特別何もしない。
何もしないどころか割とすぐに忘れる。
着物のことならいくらでも反応できるんだけども、着物の話題を振る相手っていないし。

うーん、悪気はないんだけどなー。
でも本当に知らないんもんだから、気のきいた答えを返せないんだねこれが。
これじゃまるで、全く世間に対して興味のない人のようだ。
こりゃちょいと大人の会話を楽しむには物足りないってもんだねえ。


・・・ん? もしかして、私って割とつまらない人間だったりする?


っていう超今更な疑問が沸いたため、
いやいや、これじゃいかんよちみ。もっと何にでも興味を持たなきゃ。
つまらない人になっちゃいかん。

という自戒の意味を込めてのタイトルだったんだけども、我ながら回りくどすぎ。笑
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