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そんなに食えません
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by midori_design | 2013-09-29 16:08 | Comments(0)
前回の記事について、時間の都合で端折ったため誤解を受けそうな部分を補足。
私が検索で見つけて「スッキリした」と書いた記事はそもそも出所が週刊文春とか微妙な感じなところではあるが(笑)、私自身の見解として決してこれらの内容を全面的に支持するものではない。
読んでみて私が特に納得した内容というのは、(新型鬱の一部である)否定型鬱のメカニズムがPTSDと同じである、という貝谷氏の説の部分だ。
薬物療法として、PTSDと同じ治療が劇的に効いたという点が画期的だと思った。(真偽のほどは不明だが)
これが事実ならば、いま新型鬱と称される人の幾らかは「本当に」病を患っているのだと、ある程度納得することが出来る。

ただ前回の記事でも少し触れたように、私はそれでも尚、この「病」を肯定的に捉えることはしていない。
それは、仮に否定型鬱の人物にこの治療を用いて元の状態に戻すことが出来たとしても、やはり一般的な企業での仕事に耐え得るような状態にはならないと想像するためだ。
本人が根底に持つ思考そのものが社会や企業への不適合を招き、その結果として新型鬱様の症状に陥ったのだとしたら、投薬で脳の働きを戻したとしても当然その不適合性は残るであろうと予測する。

その不適合性が、本人を取り巻いていた家庭環境・教育環境・社会環境が大きな要因となっている事は確かだろうし、その点については多少なりとも同情すべきものがある。
しかしながら、同じような環境で育っても社会不適合状態に陥らない者はたくさんいる。
どこかの時点で、社会や仕事の仕組みであったり、自分に折り合いをつける事を自分で学んでいくからだ。

私は専門家ではないからよく解らないが、それができない人のために心理療法があるのかも知れない。
しかし、言ってみればこれは人の「育て直し」な訳で、医師と患者の関係だけではその治療も万能ではないように思う。
そもそも基本的な思想・思考を育てる役目が本来家庭や教育機関にあったであろう事を考えると、現状対策としての「患者」の治療と同時に、必要以上の「個の尊重」傾向や、否定型鬱などによくみられるという「他罰的思考」へ流れにくくするための家庭環境・教育環境・社会環境をどう整えるかという事が、重い課題として残る。
思想レベル・教育レベルの底上げと文字に書いてしまえば簡単だが、一度落ちたものを持ち上げる事はそう一筋縄にいくものではない。
そして時間は相当年数掛かるが、教育レベルを地道に上げていくほかに近道がないという事もまた、歴史的に見て事実なのだろう。
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